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1本の花をどこに植えるか

2016.8.23

会社を辞めたのは、もうちょっとで丸20年になる手前だった。
新卒で入社したときには「定年まで勤める」と決めていて、同期の女の子たちに「みんな見送るからね」と言ったのに。
後1人か2人、残ってたな。

家になんて入れないと思ってた。女性も外で働くべきと。

一本の花

社会にあるべき

私が「女も社会にあるべき。たとえ結婚しても、子供ができても、ずっと働いているべき」と信じていたのは、父の影響かもしれない。

「女の人だって、自分独り食べていけるぐらいの収入を持つべきだ。
 お金があったら、旦那に依存せず済むだろ?
 離婚するとしても、お金がいるだろう?
 何があるかわからないんだから」

10代の私には、それがとても格好のいいことに思えた。

今思えば、娘が自由とより良い選択肢を獲得できるようにとの、父の願いだったのだろう。
若かった私は、大人になるとは経済的に自立することなのだと受け取ったふしがある。依存の禁止とも。

間違いではない。けれど、正しい受け取り方でもない。

社会にいること・家にいること

社会に出て10年も経つと、何人かの知人が結婚した。
夫がいる、それだけで、疎遠になった。
女友達よりも夫を優先する彼女たちと、優先するものがない私では、時間が合わなくなったから。

彼女たちが子供を持つようになると、さらに遠くなった。
時間もそうだけれど、話題が合わなくなったからだ。

まだ結婚していない友人、結婚していても子供のいない友人たちは仕事を持っていた。
お酒を飲みながら話すのは
「年賀状が子供の写真ってさ、うんざりするよね」とか、
「子供の写真とか見せられてもさぁ、どう反応していいのか、困るよね。携帯の待受になんかにしちゃってさ」といったような批判。

私たちには、わからなかったのだ。
愛おしいものを愛おしむ気持ちが。

「焦りとかなかったの?」主人の兄に訊かれた。
仕事を辞めて家にこもっていた時期のことを話していて。
「うん、もともと家にいるのが好きだしね。体も気持ちも疲れちゃってたから、そんなこと考える余裕なかったし。『私以外のみんなは忙しい』とかって焦ったっていう話も聞いたことがあるけど、私にはなかったなぁ。収入がなくて、主人に申し訳ないって気持ちはあったけどね」

あの時期に、家にいられることの心地よさを覚えてしまった。
そして、外でバリバリ働く女・格好のいい女は、私の憧れではあったけれど、私自身に向いていたわけではなかったのだと知った。

愛しいものを愛おしむ気持ち

犬を飼って、平日の日中、私以外に動くものが家にあるようになった。世話を必要とするものが。
ずっと一緒にいると、犬も成長していくんだとわかってくる。
名前を呼ぶと反応するようになり、ソファに飛び乗れるようになった後は、ジャンプの力加減ができるようになり…日々変化していくものが、いつも目の前にある。観察するのが、おもしろい。

小さく、ふわふわして、あたたかいものが自分にくっついている、その心地よさを知った。
なつくと言うのだろう。なつかれると、かわいくなる。かわいいと思って見ていると、愛おしさが溢れてくる。

ここでようやく、子供を持つ女性たちが感じるであろう、愛おしいものを愛おしむ気持ちが理解できた。

社会の問題と個人の温度差

女性も社会に参加すべきと、よく聞く。いいことだと思う。
待機児童問題、シングルマザーの子育て…社会には問題が山積みだ。行動しよう!と呼びかける女性たちがいる。当事者である、彼女たち。

温度差。そんな言葉もよく見聞きする。
確かにと思う。

社会を、国を動かしていこうと行動し、努力し、戦う女性たちの姿を見て、素直にすごいなぁと思う。
私は家にいて、彼女たちを知り、すごいなぁと。

温度差とは何か? 立場の違いだと思う。
子供がいるか、いないか。
大変さという部分には、共感できる。共感は、同じ立場になくてもできるものだから。
共感は『大変なおもいをしたことがある』のなら、できるものだから。

私は戦わない。
私は行動しない。
それは立場が違うからでしかない。

花を植える場所

どこに花を植えようとするか、その違いと同じだと思ってる。

緑豊かな土地にしようと砂漠に植えるのか。
地域の人々が気持ち良く過ごせるように街中の花壇に植えるのか。

私は、花をどこに植えるだろう?
私はきっと、家の中に。でなければ、ベランダの植木鉢に植えるだろう。

そんなんでいいのか? 良くはないだろう。でも、いいと思ってるの。

意見、視点、立場。どれも、その人がどういう環境にいるのか、どんな生活をしているのかによって違ってくるものだと思う。
趣味や興味、いいと思うもの。夫や子供の話。読んだ本の話。便利なガジェットの話。国の制度の話。世界情勢の話。
どれも、その人個人の意識がどこに向かっているか、関心の高い“対象”だ。
そういう意味では、どれもが同じ重さを持つ。

したいと望むことと、実際に可能な行動。
できることと、できないこと。
向いていることと、不向きなこと。

やりきって悔いなく開く

我が身を知りわきまえるとは、自分の能力と限界についても知ることだと思う。
やりきって、限界を知って、初めて開ける別の世界がある。

若かった自分、仕事をするのは当たり前で社会のなかで戦っていた頃の自分に、今の私はこう声をかけたい。
「がんばってるね。いいと思うよ。できること、していったらいいよ。大志を抱くのはいいことだもん。あなたの立場なら、私もそうしたでしょうね」

そして、心のなかで付け加えるだろう。
「あなたはまだ知らないでしょう? 愛おしいものを愛おしむ毎日が、とても豊かだということを。したいこと、しつくして後悔のないようにするといいよ。いつか、あなたにも、あなたがくだらないとか取るに足りないと思っていることが、どんなに豊かで幸せなことか、わかるときがあるのかもしれないしね」

やりきっていないことには、悔いが残る。
やらないで後悔するより、やってから反省した方が、その先はより良いものになっていくだろう。

一番大切なものをとる

私が今現在も家にいることができているのは、主人のおかげだ。
家にいたいのだと、話した。
経済的に余裕があるとは言えない。にもかかわらず主人は、許可こそしないまでも、黙認してくれた。

私は自分の一番大切なものは何かを知り、それをとった。
愛おしいものを愛おしむことを。

家にいることで、私の収入はなくなった。
お金があれば、欲しいものもある。
今の時間を引き換えにしてでも欲しいか? そうは思わない。
憧れていた、自立した、働いて社会に貢献もする女性にはなれなかった。
そんなふうに、諦めたものもあったかもしれない。
だとしても、あまりあるほどの充足感を得ることができた。

私は、家の中に花を植えた。

一本の花の苗木をどこに植えてもいいと思う。
そこから始まるのだから。