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ツガイまたは花開く人

2016.8.31

つがい

 その子を一目見て「失敗した」と思った。上野の美術館、特別展の会場の外だった。
 真っ黒な服装は私も同じだけれど、清潔感がまったく感じられない子。一瞬、本気でどうしようかとためらった。
 それが、主人を初めて見たときの正直な、私の反応。

 私がまだ自分のPCを持っていなかった頃、一般より遅かったようだが、会社には導入された。業務中、暇があるとネットサーフィンしてた。監視されているとの話しもあったけど、それがどうしたの?と思っていた。まだまだ管理のゆるい時代だった。
 ある日、『nostalgia』で検索をかけた。せつなく響く、その言葉が好きだったから。どこかへ還りたい…10代の頃から、胸にあった想い。
 個人の、イラストのサイトがヒットした。男性のものだった。ノスタルジアの名にふさわしい、しみじみとした哀しみと透明な空気をもった絵がたくさんあった。ああ…と思った。
 ああ…心の深いところが揺れると、私は「ああ…」と胸の内につぶやく。そのときの「ああ…」に、どんな想いがあったのか、説明はできない。胸の内につぶやいた後に「おなじだ」と思った。この人は、同じ綺麗なものを持っている、と。
 ご挨拶をするものだと思っていたから、掲示板(コメント欄でなく、掲示板。このあたりにも時代を感じるな)に『初めまして。拝見します。』と書き込んだ。

 しばらくして、彼がmixiをやっているのを知り、招待してもらった。懐かしいね、招待制だったんだよ。彼のことが知りたかった。特に言葉をやりとりするわけでもなかった。
 それから、何年経っただろう? 地方に住む彼が展示会(デザインフェスタ)のため、東京に来ると書いてあった。美術館へ行きませんかと声をかけた。
 上野の美術館で、ハンマースホイ展をやっていた。2008年なんだね。日本初の展示で、母と観に行ったそれを、その人と観てみたかった。おなじ綺麗なものをもった人が、これを観てどう感じるのか知りたかった。私が初めて、自分のものにしたいと望んだ絵画。これは私だ、と思った絵画を。

  余談:
ヴァルヘルム・ハンマースホイは、北欧(デンマーク)の画家。モノトーンの室内と後ろ姿の女性(妻)を好んで描いた。
明るい外から射し込む光。黒い服の、まだ若いと思われる女性。切り取られて、永遠に時を止めたような室内の絵。今観ても、心が震えるほどに好きだ。

 招いてしまったのは、私だからしかたない。あきらめの気持ちで1日つきあった。美術館から、どうしたんだっけ? 言葉少なで、表情もほとんどない人と過ごす時間は、困惑しっぱなしだった。ほっとけなかったのもあった。だって、黒かったんだもの。
 これまで、3人か4人ぐらい、黒い人をみたことがある。見えるはずのないものなんだけど、黒い靄なのか、煙状のもの。その人から出てるのか、その人を覆ってるのか、わからない。人によってかもしれないし。
 彼も、全身を黒い靄状のものに包まれていた。ヤバイと思った。何であれ、ほっておけないと思った。元気になってもらわなくちゃと。

 紆余曲折あって、私たちは夫婦として、今ある。
 あの頃と、今の主人は、ある意味では別人だ。会った頃の、ロボットみたいにギクシャクとした体の動きを思い出す。どれだけ心を閉じ込めてきたんだろうね? うちでは、私たちはよく踊る。ダンスじゃなくって、おかしな動きをするってことだけど。
 私と住むために、彼は仙台から東京へ来なくてはならなかった。私が説得しちゃったから。最初の3年ぐらい、苦しいおもいをずいぶんしたね。私のせいでもある。乗り越えて、彼は大人の、キリッとした顔つきになった。出会った頃は、30過ぎとは見えない、まるで大学出たてのような子供の顔をしてた。
 ダイの男を評して、子供を見守る母親のような気持ちで話すべきではないのかもしれない。けれど、私の方が5歳年上でもあるから許されるだろう。
 彼の成長を見てきた。表情のない子がちゃんと笑えるようになり、最近では歌も出るようになってきたね。常に緊張していた体と心、リラックスも覚えたし。まだ尖ってはいるけれど、自分の意見もはっきりと言えるようになってきてる。自尊心を取り戻しつつあり、おそらく自信もついてきてるのだろう。自分は自分でいいのだと。

 主人には言い続けてきた。「あなたは、あなたでいいんだよ」のメッセージを。いろんな言い方で。「あなたが何かしてくれるから、私はあなたのことが好きなわけじゃないんだよ」に始まり、「Nyanのかわいコちゃん」だったり、「Nyanの宝物」とか、「好きすき!」や、もっと具体的に「○○が××なのってすごいよね」。意識して口にしてきた。本心だからでもある。
 自己評価の低い子、というのが私の見立てだった。就職超氷河期の体験によるものらしい。自尊心と自信を癒して欲しかった。素の自分のままで充分にいいのだということを、知って欲しかった。自分に、自分でみなす以上の価値があることを知って欲しかった。

 花開いていくように変化していく彼を見ていて、どれほどの可能性があるのだろうかと考える。彼を見ていて、人間はどれほどの成長ができるのだろうかと、半ば崇めるような想いで考える。私たち、誰しもが、思ってもみないほどの可能性を眠らせているんだね。すごいよね。
 人は、その人そのものでいられれば、どこまで伸びていくんだろうか?

 Googleが、私たちを結びつけてくれた。物理的な距離があって、会うはずのない人と。
 私たちはツガイだ。私たちはお互いを選びとった。私たちは、お互いの他に誰も代わりになるものはないと思ってる。少なくとも、今はね。たぶん、これからもそう思っていけるだろうと信じてる。
 「出会うことになってる人とは、どこで何をしてても出会うよ」と私が言うと、私たちを知っている人は、納得してくれる。

 Nostalgia。還りたかった私に、主人は居場所をくれる。主人のいる所が、私の居場所。