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心の傷を引き受け直して

2016.11.3

つらい・悲しいおもいをした人には、ヒトの痛みがわかるという。本当だろうか? そういう人もいるんだろう。
私には、ヒトの痛みは、わからない。

心の傷というのは、少なからずの人が持っている。ていどの差、深さのぐあい、傷の質といったような違いがあるだけ。違いというのは、比べてみたときの評価だ。心の傷そのものを、目で見ることも触ってみることもできない。比べること自体が間違っていると、私は思う。まして評価など。
痛みは本人が感じるものであり、本人がどう感じているかは、本人にしかわからない。本人だってわかっていないことすらある。
私には、その人の痛みは、わからない。私にわかることがあるなら、その人が何か痛みを持っている、ということだけだ。なぜなら、私もまた、痛みを抱えているから。

心理関係の『養育者との関わりのなかで』ついた傷という説明には、一時的な納得感が得られる。しかし犯人探しのような、その考え方が、私は嫌いだ。
犯人がわかったところで、加害者が特定できたところで、被害にあったという事実、傷を負ったという事実は変わらない。過去の出来事は変えられない。無力な気持ちになる。どうしようもないことに思えてくる。
被害者であるという意識が生まれる。

私は、私のカウンセラーが言った「その時は、それしかできなかったんだよ」に、初めて救われた気持ちになった。

世の中には、傷や負債やコンプレックスをバネに、大きく成長する人がいる。そういう人たちは、何をしたか? 自分の生き方を選択したのだと思う。無力な被害者でいることをやめ、よりよくなろうとしたのだと思う。

「そのとき、それしかできなかった」んだとしても、今の私は違う。「そのとき」から時間が経って経験も増え、自分の頭で考え決断することができるようになってる。
心の傷を自分に引き受け直して、今現在に目を向けることができた。私にはできることがあると思え、力を取り戻すことができた。


 

親に責任を求めようとするのは、こういう理由で無理だと思う。

子供として、求めていたこと。

ヒトのことより、自分のことを先に。

自分を見失わないために、できることのひとつ。