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2016年をふりかえると…すごく飛躍した気がする

2016.12.31

ふりかえるには、ブログの中を整理してからと思っていました。どうやら間に合いそうにない。ふりかえりなど、しないでおこうかとも思いました。
そんな中途半端さではありますが、思いだけがあふれてくる。
頭で把握しないままに、つれづれと記そうかと思います。

停止・復帰・始動

そもそものおこりは、2015年末。はっきりと悟ったのが「もう、自分の望まないことはできなくなった」でした。心が、望む。
強くつよく、心が望んでいるかんじを感じていました。何を? 具体的な“コレ”がわからないまま、わかっている限りの望まないことを、すべてやめました。しなければならないと思っていた義務、役割、世間の常識etc…
そしたら、いろんなことが動き始めた。

愛犬に教えられた“慈愛”

クッションとSiva

どうしても叶えたかったことが、愛犬Sivaと一緒にいること。べったりとも言える1年間になりました。
毎日が、本当に幸せだった。
Sivaを心から慈しむ気持ちになったことで、犬全般、そして苦手でしかなかった人間の子供すらもかわいいと感じるようになりました。
一匹の犬から、慈愛という、静かであたたかく尊い感情を教えてもらった。こんなに深く清らかな感情が存在していたこと自体、そしてそれが自分の内から自然とわきだしてきたこと。驚きの体験となりました。

TwitterからブログへWeb復帰

心が動くと、言葉にしておきたくなる
Twitterを再開しました。ブログを始めることも漠然と考えていたので、アカウントを新しく作りました。最初は顔出してたんだよね、そういえば。
いくつかの理由で、匿名でブログを始めることにし、Twitterアイコンも、ブログに合わせました。
表現の手段として、どうしてブログを選んだのか、もはや覚えていない。WordPressに触りたかったからと言ってきましたが、必ずしも正しくない。どうしてWordPressを思い出したのか?応えられないもの。
導かれたんだろうなと、感じます。自分の心に。

何として在りたいか

ドラッカーの名言『あなたは何として憶えられたいか』を思い出す。

what-be

ブログを始めたからには、書かなきゃならない。100ページを公開すると目標を定めてからは、苦しかった。わかるよね? 自分の心と向き合うことの苦しさ。
心が望まないことができなくなったなら、自分と向き合うしかなくなってくる。ホンネでしか生きられなくなってくる。これまでのルールが、通用しなくなります。抑えこんでいたエネルギーも湧き出したり吹き出したり、心も体も、ちょっと大変ではありました。基礎体力つけておいてよかったと、しみじみ思います。
自分自身の抵抗を少しずつクリアしながら、言葉を綴り、文章にしていました。ものを書くことは、子どもの頃からしたいと望んでいたことです。筋を通した文章でも、詩や物語でも、形は構わない。語る綴る、記し遺す。いつのまにか忘れていた夢を、取り戻しました。

情熱・貢献・使命

ブログを始める、という行動を起こしてから、何かうまく動きだしたかんじがします。
会うべくして、会いたいと望んでいた人やモノにも巡り会うことができました。それによって、さらに心が動かされた。
100人、1000人、すごくたくさんの人の目に触れれば、必ず誰かは好きだ。いいと言ってくださる方がいる。そう信じてやってきました。思っていたよりも少ない人数、そして短い期間で、裏付けられました。そのたびに、感動で泣いたよね。
私はここにいていいのだと、初めて感じられた気がします。
ある種の仲間、コミュニティ。はてなブログにはあって、WordPressブログにはないと言われているもの。とても幸運なことに、私は、自分が持っていると感じることができています。よい人たちに巡り会えたおかげでね。おかげで、と思っているから、恩返しをしたくなる。この人たちのために、何かしたい。そう思ったとき感じたものを“情熱”と呼んでいいのだと思う。熱く激しい想いでした。
私の最大の利点は、時間があること。これを活かせないかと考えてきました。時間のない人たちに、もっと簡単で役立つ何かを提供できないかと。私が無理なくできることは何だろう? 答えのひとつとして、このブログの“ブログづくり”カテゴリーがあります。プラグインやWebサイトの使い方、こんなふうに使えるよの提案。まだ、もっと、私にできることがあるはず。これからも探していきます。
一方で、ブログをしているかいないかに関係がなく、社会・世界に貢献がしたくなりました。私が属しているこの世界にも、私は恩がある。私にできることは? 私を語ることだと思っています。どう生きてきたか。どうして死なずに済んだのか。どうして夢や希望を持てるようになり、どうやって望みを叶えてきているか。私がしたことなら、いくらでも語れる。私が知っていることなら、いくらでも語れる。これが、私の使命。私が命を使っていきたいと、心の底から願えること。ここで、これまでのすべてがつながり、年初の予感「もう少しでこれまで生きてきたすべてがつながりそう」を本物にすることができました。
ブログを通して、書くということで、自分の使命を現実に表現する手段を得た。後はやっていくだけ、ですね。

望み・夢・希望

私は、色として在りたい
ブログというのは、私のしたいやり方にとてもマッチしています。したいこと・好きなことができている証拠が、Feedlyで、うっかり自分の記事を選んで読みそうになったこと。
ものを書きたい!強く願った子どもの頃から、書くのは遺すためと思っていました。誰かに何か教える・説得する・わかってもらうためではありません。私は私自身しか書けないもの。人はそれぞれに違う。だから例え心のことだって、教えるというのは、私の感覚にはあわない。私は、ここに置きます。そんなかんじ。好きだったり、いいと思ったりしてくれる方が、なにか感じ、自分のものにして持って行ってくれればいいなと祈りながら。そういうやり方の方が、私らしい。
それにね、ゲド戦記を読んでから“生活に密着した仕事”に憧れていました。仕事をするためにどこかへ行って定められた時間を過ごす、という方法ではなく、食べるために畑を耕し鶏を飼うような働き方。朝起きて鶏に餌をやって、卵をもらって朝食にする。そういう、生きるための働き。
朝起きてから夜寝るまで、ときには夢の中でも、ブログについて考えています。書きたいこと、したいカスタマイズ、新しいアイデア。ブログは、私にとっての生きるための働きになってくれている。おかげで毎日が楽しく、わくわくしてる。こういったことからも、性に合ってたんだなぁと思います。
このブログは、私の成長とともに変化して行ってます。私の、それとは思わずあたためてきた夢、現在の望み、未来への希望。NyanChestというブログは、私自身でできています。

Special Thanks

もちろん、主人に。心からの感謝を。
私がこうして好きなだけ時間をかけて使って、好きなことだけをしていられるのも、主人がいていくれるから。
主人がいなかったら、私は今生きてさえいないかもしれない。私の命と、わくわくするような未来をくれる主人に、ありがとう。

さいごに:2017年へのブリッジ

来年の抱負は、明日以降、考えます。
漠然とでも、毎年なにがしかの目標を持ってきました。不思議だけれど、今は「ないな」と思っています。頭で考えて目標を立てるやり方も、変わってしまったのかもしれません。心が望むから。自分の心が望むものを信頼できるようになってきてる、とも思えます。
運と縁とタイミング、3拍子揃えば、物事は最小限の努力で進んでいくと信じています。実態のあるなしにかかわらず、助けも得られている。私が行く先は、私の心がちゃんと知っている。
私には夢がある。1年をふりかえると、やめたら始まり、切ったらつながって、格段に飛躍した年でした。これも、こうして読んでくださる方々のおかげ! ありがとうございます!

最後になりましたが…
いつもいつも見守っててくれる天使、ありがとう!
広告貼る踏ん切りがつかなかったとき激励してくれて、ありがとう!
文章が好きだと言ってくれて、ありがとう!
「拡散希望」と言ってくれて、ありがとう!
読んで感じ取ってくれて、ありがとう!
このブログを見つけてくれて、ありがとう!
たくさんの、幸せな涙と驚きと心の震えをありがとう! 本当にほんとうにありがとう!

Nyan
明日から、もっとNyanChest
かわいがってくれるですにゃの?