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セルフ1|気づいている“私”

2017.2.9

当ブログでは、心理学のひとつ、サイコシンセシス(統合心理学)をご紹介しています。日本では、メジャーではないものなので、あまりご存知の方がいらっしゃらない。そんななかで、私個人が巡り会ったのも、なにかの縁と言えるかもしれません。
最初はクライアントとして体験し、のちに体系的に学びました。
創始者 ロベルト・アサジョーリ(アサジオリと表記されることもあります)は『サイコシンセシスは生き方だ』と言ったそうです。心の傷を癒すだけでなく、人間としての成長を促し、自分らしさという個性を世の中で発揮していく自己実現までをカバーしています。
サブパーソナリティ5|飲み込まれて「同一化」離れると「脱同一化」 までで、『サブパーソナリティ』についての一通りのご紹介を済ませています。興味のある方は、以下からご一読ください。

今回は、サブパーソナリティたちから脱同一化するのは誰なのか、のご紹介です。

kiduki

はじめに

サブパーソナリティとは、私たちが生きるために生まれた心のさまざまな要素であるとご案内してきました。
自分の真面目な側面、楽しいことが好きな側面、小心者な側面、皮肉屋な側面、怒りっぽい部分、優しい部分… そのすべての“部分”が、ひとつひとつ、サブパーソナリティと捉えることもできます。詳しくは サブパーソナリティ2|生き延びるために生まれたもの をご覧ください。

私たちは、いくつかの“お気に入りのサブパーソナリティ”で、毎日を暮らしています。
朝目が覚めたときに、なんとなく憂鬱を感じていたとします。顔を洗ったりと日課をこなしているうちに、気分が変化することがありますね。たとえば「お腹すいたなぁ」と思ったとき、さっきまでの憂鬱は感じていないかもしれない。家族が言ったほんのちょっとした冗談に、一瞬で気持ちが明るくなることもあります。
外出するまでの間に、もういくつかのサブパーソナリティが反応して、表に出てきています。
学校や職場に行けば、その場にふさわしいはずのサブパーソナリティが、対応しています。

さて、“私”は、何者でしょう?
いくつものサブパーソナリティが、出たり入ったりする容器?

気づく“私”

例では、朝目が覚めたときに、憂鬱を感じていました。意外に多くの人が、自分が憂鬱を感じていることに気づいていません。「腹減ったー」と、お腹が空いたことを自覚して、口にすることはあります。あるいは、思わず口にして初めて「ああ、自分はお腹が空いていたのか」と気づくこともありますね。思い当たりませんか?

誰が、自覚するのか? 誰が、気づくのか?

サブパーソナリティ5 では、家の中にいては家全体を見渡せない、なんていうたとえでご紹介しました。同一化していては、自分を理解することができません。脱同一化、それから離れる必要があると言いました。

気づけないときの具体的な例としては、“怒り”があります。私たちは思わず怒鳴ってしまう、ということがありますね。経験のある方は多いのではないでしょうか。
怒鳴る前に、「自分は怒っている」と思ったことはありますか?
私個人の経験で言えば、“怒り”を表すサブパーソナリティの飛び出してくる速さは、他にはないかもしれないぐらいです。なぜなら、私たちの命、生存に関わる反応だからです。

  怒りについてはこちらでもお話ししました。
私はコレで怒りにくくなりました|怒っちゃうぞ!5つのパターンも

多くの人が「怒りをコントロールしたい」と望みます。
コントロールするには、気づくことが必要です。怒りが湧き出てくる、その瞬間をキャチして、どうするか決めることが必要です。どうするか決めることができれば、怒りのままに怒鳴って後で後悔することもなくなっていきます。後悔しない選択をするために、気づくことが必要なのです。
気づくことができれば、もう脱同一化しています。“怒り”に、なされるがままに振り回されることはなく、コントロールしていける。

自分の言動やその時々の状態、瞬間の反応にさえも、気づいている“私”があります。それを、サイコシンセシスでは『パーソナル・セルフ』と呼びます。
パーソナル・セルフは、しかし、多くの人にとって自然と発見・体験をするものでは、ないとされています。エクササイズやトレーニングによって、やっと『経験を誘い出す』ことができるものです。

自分軸を持ちたいと望む人は、多いですね。
ぶれない自分でありたいと願う人も多い。
他人に振り回されたくない、本当の自分でいたいと欲する人は、さらに多いでしょう。
私は、そういった方たちへ、『気づいているもの』と呼ばれることもある、パーソナル・セルフを鍛えることを提案します。

セルフは喜びの中でも絶望の中でも、平静な時でも混乱していても、快不快、勝利と敗北いずれの時にも変わらないものとしてあり続けます。
P・フェルッチ 『内なる可能性』

さいごに

『サイコシンセシスは生き方だ』 アサジョーリの言葉は、そのまんまだなと思います。理由のひとつが、セルフを鍛えるエクササイズなりトレーニングなりは、日常の中でできることだから。
そのための時間をわざわざ割かずとも、やっていくことが可能です。
そして、やっていけばいくほどに、自分の生き方・人生が開いていく。

私がこのブログを通して、伝えていきたいと強く望むのが、選択と決定。自分の人生を自分で選び取り、納得感をもって生きていこうとすることです。
これに、セルフを鍛えていくことは不可欠と考えています。

私たちが “私” であるために。
パーソナル・セルフについて、以降くわしくご紹介していきます。

パーソナル・セルフとは何か?を書きました。セルフ2|私自身がいかなるときも影響されない唯一の存在