最近よく読んでいただいてるページはこちら

セルフ3|要素からの脱同一化まとまりある存在への統合

2017.3.16

サイコシンセシスの概念をご紹介するシリーズです。興味のある方、未読の方は、サブパーソナリティとはどんなものなのか、そしてパーソナル・セルフとは?をご一読ください。これらすべてを読んでいただいている前提で、話を進めます。

前回のセルフ2では、捉えがたい知識としてのパーソナル・セルフ(以下“Pセルフ”と表記)をご紹介しました。
今回は、もっと現実的な部分で、P・セルフというものが私たちにどう関係するのかをお話しします。

Integration

たくさんの要素と統合

サイコシンセシスとは、日本名の『統合心理学』の通り、精神の統合です。精神とは何か?は、ここではひとまず置いておいて、注目していただきたいのは、『統合』です。

『統合』は、名を冠しているほどなので、サイコシンセシスにとって重要な概念です。
ここではまず、サイコシンセシスにおける『統合』とは何か?のイメージをつかんでおいていただきたい。

統合とは何か?

私たちの体を例にとりましょう。私たちが生きるのに最も重要なのは、心臓でしょうか。しかし機能している心臓だけがあっても、私たちは生きることができません。酸素を運ぶ血液も必要ですし、その他のさまざまな臓器や、筋肉や脂肪や骨や皮膚…たくさんのパーツによって人体は形成され、相互に役割を果たして始めて機能し、まとまりを持った個人の体となります。
ご自分の体に想いを馳せ、内側で働いている各要素の状態を想像してみると、不思議な気がしてきませんか?

こうした、まとまりという単位では、音が連続して曲になったり、文字が連続して単語そして文章となります。

統合とは、このような「ひとつのまとまりとして、有効に機能している状態」と、想像していただいても、いいかと思います。
そう遠くはないし、間違ってはいません。しかし、それ以上のことだと、頭の隅に置いていただけたらと思います。

サイコシンセシスにおける『統合』は、以下引用のように表現されます。

サイコシンセシスで使う「統合」は、バラバラなものを一緒にするとか、あるいは均一にするということではありません。または「個か全体か」、「あれかこれか」のような二者択一で、その中間をとるということではありません。サイコシンセシスが目指すのは、互いに対立する要素のそれぞれが生かされて、新たな全体(ホール)を作り、個が全体の中で有機的に機能するような統合です。(中略)
「全体が部分の総和以上になる」、「1+1が2以上になる」というのが、サイコシンセシスでいう「統合」です。
平松 園枝『サイコシンセシスとは何か』

では、逆に、各要素がまとまりを持たないと、どういったことになるでしょうか? 想像ができますか?

脱同一化はなぜ必要なのか

各要素がまとまりを持たないと、どういったことになるのかは、サブパーソナリティ4|乗っ取られ支配される私 で述べました。
サブパーソナリティという要素だけで見てみても、一人の人間の内側にはたくさんあり、中には矛盾しあうものもあります。私たちはサブパーソナリティAからサブパーソナリティBへ、そしてCやDや…と同一化と脱同一化を繰り返しています。
気分の波、感情の変化の激しい方は、特にそうです。また、葛藤はサブパーソナリティ同士の対立によって起こると捉えます。
一人の人間であるにもかかわらず、です。

セルフを私たちの存在の最も基礎的で、かつ最も明白な部分━━言い換えれば、その核心━━として考えるというものです。この核心は、私たちのパーソナリティを構成している要素(感覚、感情、思考など)のすべてと全く異なった本性を持つものです。その結果、それは諸要素を方向付け、それらに有機的全体の統一をもたらす統合センターとして働くことができるのです。
この観点から言えば、セルフは私たちを他の人びとから区別するだけでなく、絶えず変わっていく私たち自身の意識内容からも区別するのです。
P.フェルッチ『内なる可能性』 

サブパーソナリティから脱同一化し、Pセルフに同一化することで、私たちは自分自身を俯瞰することができます。

私たちが、感覚、感情、欲求、思考と同一化している限り、私たちの存在感がそれに結びつけられ、従ってそれが私たちを支配し、私たちの世界認識を制限し、他の感情、感覚、欲求、意見の可能性を閉め出してしまうのです。逆にセルフと同一化していれば、どんな意識内容でも観察し調整し方向付け、超えることも容易なのです。なぜなら、私たちはそれらから脱同一化しているからです。
P.フェルッチ『内なる可能性』 

サブパーソナリティのシリーズの中では、家の中にいるときと、外へ出てちょっと離れて見てみたときに例えました。

私たちは観察によって脱同一化します。感覚、感情、欲求、思考にとらわれる代わりに、判断を下さず、変えようとせず、妨害もしないで客観的にそれらを観察します。景色でも見ているように、それらを私たちとは異なるものとして見るのです。
P.フェルッチ『内なる可能性』 

Pセルフに同一化する

観察すること=自分に気づくことで、要素から脱同一化し、Pセルフと同一化します。そうすることで初めて、私たちは自分を把握し、コントロールすることが可能になります。

私はコレで怒りにくくなりました|怒っちゃうぞ!5つのパターンも では、怒りを感じ取る練習しています。
出来事や状況という “刺激” に “反応” している私たち から始まる認知行動療法のシリーズは、思考を用いて自分自身に気づいていく練習ができるよう、ご紹介しました。
全部、気づくため、という意図を持ちます
つまり、観察者であるPセルフと同一化する練習となっているのです。

Pセルフと容易に同一化することができるようになってくると、サブパーソナリティ5|飲み込まれて「同一化」離れると「脱同一化」 の中でお話しした『任務から解放』してあげるというのが、できるようになってきます。
これを適切にできるのは、私たちの内側にあるPセルフだけなのです。Pセルフは、私たち自身を癒し、成長させる役割も担っています。そしてまた、諸要素をまとめあげ、一人の人間として、矛盾を抱えつつも破綻しないひとつとして存在させるカナメでもあります。

なぜ、Pセルフのみが、私たちを癒し、成長させ、ひとつの存在としてまとめあげることが可能なのか?
また別のところでご案内します。

さいごに

私たち人間の内側(だけではないのですが)は、矛盾に満ちています。これを破綻なく、まとめあげるのがPセルフです。
Pセルフを中心として各要素をまとめあげていくことは、私たちが現実の世界で自分らしくあること・自己実現に必要なことでもあります。

Pセルフは自然と体験されるものではないと、ご案内しました。しかし、練習によって、その感覚をつかむことは可能です。私は、最近になってようやく「これがPセルフか」と感じられる体験をしたばかりです。個人差のあるものだと思います。私個人は、ずいぶん長くかかりました。
次回以降にお話しするのですが、Pセルフのふりをするサブパーソナリティなんてのも、いたりします。

同一化・脱同一化は重要なので、しつこいようですが、もう少し説明させてください。
セルフ4|図で見る要素からの同一化・脱同一化 に続きます。