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愛について

Mr.Childrenの『名もなき詩』が、流行ってた。
「愛は奪うでも、与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの」を聴いて、軽いショックを感じた。
当時、何歳だったのかは覚えてない。「愛とはなにか?」を意識的に考えるきっかけだったのを、記憶してる。

映画『マレフィセント』が公開される前に、レビューを読んだ。
私は観てはいないのだけど、こんなふうに書かれていた。
「王子様のキスでは、もちろん、目覚めるわけもなく…」
だよね、と思った直後、なぜだろうと疑問を持った。

かつて愛には、奇跡を起こすだけのパワーがあった
それは、おとぎ話の世界だけのことだけ? 違う、と感じる。

人間の感情は、発達する。
ここで言う“発達”とは、それまで感じなかったことを感じることができるようになること。
心理学においては、おそらく、発達心理学の領域に詳しく解説がされているのだと推測する。
…私もいずれは学んでみたいと思っているが、かじったことさえない。
感情の発達段階を、かんたんにネット上で調べたところでの私の理解によれば、人は動物的・本能的な快・不快の感覚をより発達させていく生き物のようだ。

知ってるつもりで意外と知らない『気持ち』とはなにか? では、「気持ちというものがある」ことを前提に、「気持ちについて私たちはわかっているつもりでいるけれど、訊かれるとふさわしく答えることができない」と話しを進めた。
今回、“愛” について調べる上で、私たちは、そもそも “愛という気持ち” を理解していないのではないか?との前提に立った。
なぜなら、私は “愛” を、高度な感情のひとつと捉えているから。

これは、あくまで個人的な想像であり、学んでいないがゆえの私見でしかないのだが…
私は、人はその身体的成長と時間経過の中でのさまざまな経験によって、感情を分化させていくのではないかと考えている。
分化させる、とは、私の言葉では「より細やかに、グラデーションのように」枝分かれさせていくようなイメージを指す。
私たちが持っているのは、先の『気持ち』とはなにか?でも触れているように、代表的な4つの感情「喜怒哀楽」だけではない。
“喜” ひとつをとってもみても、「なんとなく」から「大喜び」や、言葉ではとても言い表せないような類の喜びもある。
“よろこび” と入力してPCが自動変換してくれるだけでも、喜び、慶び、歓び、悦び、とある。
この違いを指し、私は「グラデーション」と表現している。

愛は人間固有のものだろうか?

私たちは、生き物であるがゆえに、本能的な快・不快の感覚を持つ。これは生存に必要なもの。
その上に、動物的な、快 ≒ 好き・不快 ≒ 嫌い、などといった気持ちを持つ。
私個人は、さらにその上に、人であるがゆえの、人間らしい感情を分化させていくものだと考えている。

動物には愛はないのか? あるいは 人間も動物だから愛があるのではないか?
動物にも、“愛” はあると、観察によって証明されているようだ。よって、愛は、人間だけが持ちうる感情ではない。
しかし、高度な感情としての “愛” は、人間だけが持ちうるものだと、個人的に、考える。
“愛” には、種類がある。

私たちは、感情を発達させ、さらに分化させていくものだと仮定し、快 → 好き → 愛 と昇華させていくのだと考える。
そしてさらに、愛を分化させていく。その分化させたものが、以下の『愛の種類』だと思った。
エロス・ストロゲー・フィリア・ルーダス・マニア・ブラグマ・アガペー
これらについては、また別途紹介したい。

と、つらつらと考えていて、愛に奇跡を起こすパワーが無くなったわけではなく、私たちが愛を体験していないのではないか?と思った。
身をもって体験していなければわからないようなものは、たくさんある。愛もまたそのひとつなのだろう。
そこにある、と気づくまでに成長したいものだ。
エロスにとどまらず、ストロゲーを超えて、アガペーへと。私たちには、それが可能なのだから。