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メタモデルとSFAからジムに通うことに

2017.5.26

たいていの人にとっては、ごくフツーのことでも、私には敷居の高いものがある。
そのひとつが、玄関から外へ出ること。
だからと言って、外へ出ようとすると具合が悪くなるとか、そういうことはない。単に、気が重いし、めんどうに感じる。
できないわけじゃない。だから「敷居が高い」と言うのだ。

なにか行動を制限するようなこと━━したいのにできない━━に対処するにも、いくつもの方法がある。

今回は、数年前の質問がきっかけとなって、今日私がジムへ行くことができた、その過程を記す。

建物内・玄関の外

ここに住む特典のひとつが、ジムを無料で利用できること。

ストイックな、ランニングや筋トレといった運動を好む父の血をひかず、私は体を動かすことが好きではない。
しかし、踊ることは━━できるとは言えないけれど━━好きだし、なぜかルームランナーをとても好きなのだ。
ここのジムにルームランナーがあると知って、やる気になった。

引越しの片づけもひと段落してから、行くようになった。
エレベーターで降りて、カードキーで入る。外へ出ることなく行ける。建物内の移動で済
むから、私はルームランナーに嬉々とする。

外へ出るわけではないのだ。
しかし、玄関から外へは出るのだ。ただそれだけのことが、私の気持ちを重くする。

4日ほどサボったけど、今日はジムへ行ってきた。
行く気になれたから。玄関を開けることをなんとも思わず、抵抗を感じなかったから。

何年も前のセッション━━模擬カウンセリングと、セルフ・カウンセリング━━が、今もなお効果を発揮し続けている。

メタモデルを用いた質問「いつも?」

お外に行きたくないにゃの。お家にいたいですにゃの。
いつも?
人と会う約束があるときは別ですにゃ。約束があれば、出ますにゃの。

5年ほど前のことだと思う。
習ったカウンセリング・ツールを使って、ペアになっての模擬セッションをしていたときのことだ。

『メタモデル』を使った質問の形。
この例では「いつも」が、メタモデルに当たる。

詳しくは、また別の機会にご紹介することとして、ここでは「メタモデルは、使い方を注意しなければならないものである」とだけ覚えておいていただきたい。
私たちが日常の会話においてよく使う「なんで?」など、メタモデルを用いた質問は、私の先生が「切れ味鋭い」と表現したような厳しさがある。

反面、効果的に用いれば、明確な答えを引き出すきっかけともなり得る。
「出かけたくない」に「いつも?」と質問をもらったことで、私は「いつもではない」ことに気づいた。

これが、今日現在の私の行動に影響を与え続けている。

SFAで前に進める

SFA(ソリューション・フォーカスト・アプローチ)で、自分に問いかけたのが2年ほど前のこと。

じゃあ、なにがあったら、どんなふうだったら、出かけたいと思えるの?
人と会う約束があって…キレイなカッコができて…ウキウキとお出かけしたいにゃ…

「ウキウキお出かけしたい」と考えて、ハッとした。私は、出かけたいと望んでいるのか、と。
さらに質問を入れる。

どんなだったら、ウキウキお出かけできるだろう?
体が軽かったら、ウキウキお出かけできるですにゃ!

意識的には「体が軽かったら出かけることができる」という解にたどり着いただけ。
その翌日だったか、「ストレッチでもするか」と思いついて、1年ちょっと続けた。
無意識が応えてくれたんだと思う。

ただ「体が軽かったら…」と想像しただけ。
無意識の言語である “イメージ” は、こんなふうに作用する。

環境によって支えられる

ずっと「ルームランナーがあったら、私だって運動するよ。ルームランナー欲しい」と、ことあるごとに言ってた。本気で購入を検討したこともある。
それが、どうだろう? 引越しをしたら、ここにあるじゃないか。

世に言う、引き寄せかもしれない。
このメカニズムは、サイコシンセシス(統合心理学)が説明してくれる。

当ブログでは━━あちこちで触れてはいるのに━━きちんとご紹介したことが、未だにない。
ここでも簡単に言ってしまうのだけど…
内的な統合が進むと、外界━━他者や環境など━━とも統合がなされるようになっていく。
セルフが意志を発揮できる力をつけていくと、都合がいいとしか言いようのないような、こんなことも起こっていくのだ。
ユングが『シンクロニシティ』と言っているようなやつかもしれない。

ただ、私個人が思うのは、こういった都合のいい出来事を受け入れる・入れない、の選択も重要だということ。
…いつか、どこかでまた触れよう。

ここでは、今の私にとってはプラスに働いているし、環境によって支えてもらっていることに感謝している、と言うにとどめる。

さいごに

偶然は、偶然かもしれない。
ここで私が記したことは、ただの後付けの解釈であって、なんら正当性のない戯言かもしれない。
カウンセリングの技法や心理学の知識などに沿って解釈してみたところで、こじつけとも言えることかもしれない。
しかし、こうしてつなげて考えていくことは、私個人にとって意味をもつ。ああ、ちゃんと行くべき道を歩いているんだなと、納得ができるのだ。

もしも「したいのにできない」に対処したいと思ってる方が、これを読んでくれたなら、ものは試しと以下のような質問を自分にしてみていただきたい。

どうなりたいですにゃの?
どんなふうだったら、もっといいかんじ?

すぐに応える必要はないのでね。