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感覚過敏か神経質かそれとも?いずれにしろ居心地よくしたい。

スピッた語りもできなくはないけれど、あんまり好きではないから、感覚の過敏さ もしくは 神経質だからってことで話を進めようと思う。

特に素足でいる季節には、フローリングの床の埃が気になる。
起きて、寝室からリビングへと移動するのに、足が嫌がっているのを感じる。
フローリングだからだと思う。カーペットやラグの敷いてある所なら、繊維の感触の方がまさるもの。

感覚が過敏、あるいは、神経質だと、そういうのがすごく気になる。

元々そうだったかというと、そうじゃない。いわゆる汚部屋で過ごしていた時期の方が、長いかもしれない。
母は片付けが上手ではなかったし、まめに掃除する人でもなかった。私が自分の部屋をどうしようと、文句を言われたこともない。
いつから、こうなったのだろう?
10年以上、一人暮らしをしたけれど、そこそこ掃除をするようになったのは…カウンセリングを卒業する前だったと記憶している。

私のばあいは━━と言っておいた方がいいと思うのだけど━━、身体の感覚を遮断していたところがあった。
もしかしたら、一番の原因は、人との触れあいの断絶。親とはスキンシップがなかった。
都心で暮らしていることも大きな要因だったろう。絶え間ない騒音や、過剰な明るさ、溢れる文字情報、常に動いている人々。
良い刺激も、悪い刺激も、全部を絶とうとしていたようなところがある。

心理カウンセリングで、なぜ身体の感覚を開いたのか?
うまく説明できる気がしないんだけど、サイコシンセシス(統合心理学)のセッションって、そうなんだよ。
“私”というパーソナリティの入れ物、という図があって、心・身・知の3つの要素のバランスを整えることも目標としている。
結局できてはいなかったのだけど、毎回フォーカシングをさせられてた。

フォーカシングは、身体の内側の“なにか”を感じていく技法。
胃が痛いっていう経験をしたことのある人は多いと思う。熱いものを飲んで、喉から下へと熱さが移動していくのを感じたことのある人も多いと思う。
そんなふうな、身体の内側で感じる“なにか”を感じていくことをする。
訓練をしていくことで、身体の感覚に注意は向き、意識的になることもできる。

身体の感覚が鈍かった私は、“なにか”を感じることが、非常に苦手だった。というか、できなかった。『体感にとどまる』かんじを「これのことか!」とわかるまで、6年かかってる。
まぁね、フォーカンシングを嫌いだったのは、他にも理由があるのだけど。

ともあれ、フォーカシングしようとしていったことで身体に意識が向くようになったのもあり、現在の過敏さ・神経質さとなった。
もっとも、過敏さはもしかしたら生まれつきで、それゆえに断絶していたのかもしれない。

アレクサンダー・テクニークをする人も━━本にそう書いてあったので━━言ってるんだけど、ボディワークのある種のものは、結果的に不思議体験を引き起こすのかもしれない。
シックス・センスをわざわざ身につけたり磨いたりせずとも、五感だって研ぎ澄まされていけば、多くの人が体験しない領域にまで拡張されていくと考えることができる。
そう思ってるから、一部の「スピリチュアル?! すごい!」みたいな、特別扱いは的外れだと思う。特別な能力を与えられた、というよりは、オリンピック選手の鍛錬された超人感の方がまだ近い気がする。いや、そこまでのものですらないのかもしれないけど。
少なくとも私ていどでは、感覚過敏・神経質の範囲を出ないと思っている。

生まれつき絶対音感が備わってたり、卓越したリズム感や色彩感覚があったり。そういった人は、自分をすごいと感じることができるのだろうか?
周りが騒ぐだけなんじゃないかと想像する。
本人にとっては、いたって普通のことなんだもの。
そういった意味では、私たちの誰もが━━他者からしてみたら━━すごい感覚を眠らせているのかもしれない。自分にとってはあまりにも普通だから、それがあるのは珍しいことなんだって、気がつかないだけなのかもしれない。


で、なんでこんなことを考えてたかっていうと…
引っ越して来てから3ヶ月が経とうとしている今、気になりだしてることがある。
これまでも漠然と感じてきたけど「まいっか」とか「まだしかたないよね」と、半ば無意識に感じてきた、室内の空気。
慣れてきたからね、いろいろ“考え”に刺激されることが治まってきて、身体で感じとる感覚に注意が向くようになってきたのもあると思う。

この部屋には、風は入る。けれど、抜けない。

空気、あるいはなにかの流れ。
「物事が滞る」なんて言い方をする。空気も停滞し、滞り、よどむ。
風水とか━━知らないのだけれど━━そういうのもってきて説明を試みるより、単純に「空気がよどむと健康に悪そうだよね」って言った方が具体的に「ああ」なかんじがするよね。

インテリアってね、好みさまざまで、人がなにをどう感じかもさまざまだけど、あるべき場所にあるべき物が治ることで生まれる心地よさってあると思う。
逆にいえば、あるべきでない所に、あるべきでない物があると、とても居心地が悪いと、私は感じる。落ち着かない。
空気やなんだかの流れを遮ってしまったりすることもある。

ということで、もう3ヶ月近く、ココという場所に置いてきてしまった家具だとかを全面的に、引っ越しやり直しぐらいの勢いで、配置換えしようと思ってる。
考えただけで疲れるけど。
まだ、あるべき場所を特定できてないし、置いてみたら違ったりするのかもしれないけれど、やらなきゃって気になってる。
感覚過敏か神経質か、それとも多くの人が感じないようなことを感じてるにしろ、居心地よくしたいと望んでる。