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ふりかえりの効果|書くことのススメ

ふりかえりを、習慣にしている人がいる。
私には習慣はなかったし、必要性も感じてなかったし、まして知らなかったことでもある。
ブログを始めて、書き記し残してきて、ふりかえりは役に立つものなのだと実感してる。
成長が確認でき、納得感・自己肯定感から自信を持つこともでき、この先の可能性に明るさを感じることができた。

どんな道をどんなふうに歩いてきたのか

ここには、公開記事数の20・50・70・100時点のふりかえりがある。なにを考えどんなだったか、残っている。
最近節目めいたものを感じていて、公開数も255になったし、ふりかえっとこうかなと読み返した。

これまで歩いてきた道を見やれば、意外と進んできているのがわかる。
その距離は長ければいいというものではないと思っていて、確かめるのは、どんな道をどんなふうに歩いてきたのか、だ。
現在地点は、出発点から続いてきているか。続いていないとしても、それでいいと納得のできるものか。
迷走の抑止にもなりうる。

迷い悩むことは、不必要でも、してはいけないことでもない。けれど、しなくていい迷い方、悩まなくてもいい悩み、というのもあるものだ。

もっと!がよいものへ向かわせる

人間には「もっと!」がある、という言い方を私は好む。それを向上心と呼ぼうとも、欲と呼ぼうともかまわない。
私たちは「もっと!」と望むことによって、よいものへとなっていく。

もっとお金を稼ぎたい。
もっと時間が欲しい。
もっと楽をしたい。
もっと幸せになりたい。
もっと好きなことをしたい。
ゆえに、私たちはさまざまな障害を乗り越えようとし、さまざまに試行錯誤してみる。
これ、成長の方法なんじゃないかな?

直接の動機がなんであれ、私たちはよいものへと向かおうとしているのだ。だから、人間の本質は、善であり美であり愛なのだと思うんだよ。

わからないという可能性

越えられそうもない壁を目前に、脱け出せそうもない渦中にあって、困難を抱えるとき、往々にして私たちはこの先をも暗澹と感じる。
それはね、参照するに適していないかもしれない過去ばかりをひき、立ち止まった現在という足元しか見えていないからかもしれない。
動けない。こうなると私たちは悩む。

明日のことは、誰にもわからないと言うでしょう? 次の瞬間すら、私たちにはわからないことが多い。
予期しないできごとによって、自分や自分が置かれている環境すらも一変する可能性があるというのを忘れている。
たとえば、一本の電話によって突然なにかが起こったことはないだろうか?

可能性は常にある。
扉を閉ざし、自分を閉じ込め身動きさせないようにしているのは、自分かもしれないんだよね。

私たちは、自分自身を危険から守ろうとする本能をもつ。「過去にこんなことがあったから」という理由によって、未来を予測する。危機管理だね。
しかし、その、過去にあった出来事が、私たちの予測する未来に再び起こる確率はどのくらいだろうか?
人一人が経験するできごとなど、この世の中に存在するものに比べれば、たかが知れている。それでも、私たちは繰り返すのか?
もしかしたら、未知の危険よりもと、私たち自身が既知の状況になるよう調整しているのかもしれないね。
毎朝の通勤経路が決まった道なのは、毎日の家事を同じ順番でとりかかるのは、そういうことかもしれないね。

毎日のことには、気づきにくいものだ。自分自身から距離をとって、新鮮な目で見てみようとしない限り。
これを叶えてくれる手段のひとつが、ふりかえり。

距離で確認できた成長

書いてあるものならば、時間が経ってから読むことができる。
時間が経ってから、がポイントで、間を置くと自ずと距離ができている。客観的とか、醒めたとか云われるようなやつだね。

過去に書いたふりかえりを読み返して、書き直そうとして、やめた。

書き直そうとしたのは、ダメだと思ったからだし、恥ずかしいと感じたからだ。
でもね、と思い直した。
でもね、これがこの時の私だ。書き直すことが自己否定になるとまでは思っていないけれど、そのままに残しておいてあげてもいいじゃないか。

ダメだと思ったけど、そう悪くない。
恥ずかしいと感じたけれど、だからって悪いことじゃない。
なにより、そう思い感じたことで、自身の成長を確認できた。やってこれたのだと。

読む立場・書く立場

読む立場として、私は、人が昔書いたものを読むのが好きだ。
何年とブログを書いている人の、初期のがそのままで残っていたりするのを発見すると、嬉しくなる。
最近書かれたものも読んで、この人はこんなに変わったのか、と感心する。
順を追って読んで、なるほどこうやって変わっていったのか、と感動することもある。

書いてる立場として、私の書いたものも、そんなふうに読んでもらえたら嬉しいだろう。
なおかつ、私の歩いてきた道は私個人のものではあるけれど、きっと、似たような道を歩いている人がいるだろうと思っている。
もし、私の方が少しだけ先を歩いているとして、道しるべを置いたことになったのなら? 想像して楽しくなった。

さいごに

ブログに書いて公開する。私はこれを好むけれど、誰にも見せなくてもいいから「書くといいよ」と、勧める。
その時々の自分を、状況や出来事や気持ちや考えを、書き残しておくといい。
書くこと、それだけで自分自身が整理されていくこともあるけど、支離滅裂でもかまわない。後からつなげて、意味を汲み取っていくこともできる。というか、手が離れてから見返すと、しぜんと見えてくるもの。
時が経ってから、見返すといい。手が離れていれば、成長が確認できる。

もし困難に身動きできなくなっているなら、いろいろなことがありすぎて五里霧中なら、質問を用意してある。叶えたい夢の天敵モヤモヤをスッキリさせる『問題の焦点化』 にあるので、使ってみて欲しい。
真っ白な紙に、なにを書いていいと言われても、できないことがある。私はかつて、書くことが苦手だった。
質問に応えようとすると、書きやすい。
前後のつながりなど、気にしなくていい。質問の一つ一つに、応えて書くといい。

かつての自分をふりかえり、「よくやってるじゃないか」「なるほど、この時はこんなふうだったのか」などと思えるといい。
ふりかえりは、自分を愛おしみ、認め、自分のしてきたことを理解し、納得し、これから先を行く勇気や元気をくれる。
私たちは変化する。常に変化し続けている。毎日では気づかなくても、たまには、どう変化してきているのか、どうしてこう変化してきたのかを確かめてみるといいと思う。

ふりかえりを知って、習慣とはいかないまでも折に触れて記し、しておく気になったときには、している。
ふりかえりをすると自分がキマル気がするのは、こういったことだったからか、と、書いてみてわかった。